2010年7月27日火曜日

WJ例のアレ

子供は何人ほしい?私は三人欲しいな。女の子がふたり、男の子がひとりね。名前は人吉くんが決めてあげて。私ってあんまりネーミングセンスないから。えへへ、どっちに似ると思う?私と人吉くんの子供だったら、きっと男の子でも女の子でも可愛いよね。それで庭付きの白い家に住んで大きな犬を飼うの。犬の名前くらいは私に決めさせてね。人吉くんは犬派?猫派?私は断然犬派なんだけど、あ、でも、人吉くんが猫の方が好きだっていうなら、勿論猫を飼う事にしようよ。私、犬派は犬派だけど動物ならなんでも好きだから。だけど一番好きなのは勿論人吉くんなんだよ。人吉くんが私の事を一番好きなように。そうだ、人吉くんってどんな食べ物が好きなの?どうしてそんな事を聞くのかって思うかもしれないけれど、やだ明日からずっと私が人吉くんのお弁当を作る事になるんだから、ていうか明日から一生人吉くんの口に入るものは全部私が作るんだから、やっぱり好みは把握しておきたいじゃない。好き嫌いはよくないけれど、でも喜んで欲しいって言う気持ちは本当だもんね。最初くらいは人吉くんの好きなメニューで揃えたいって思うんだ。お礼なんていいのよ彼女が彼氏のお弁当を作るなんて当たり前の事なんだから。でもひとつだけお願い。私『あーん』ってするの、昔から憧れだったんだ。だから人吉くん、明日のお昼に『あーん』ってさせてね。照れて逃げないでねそんなことをされたら私傷ついちゃうもん。きっと立ち直れないわ。ショックで人吉くんを殺しちゃうかも。なーんて。それでね人吉くん、怒らないで聞いてほしいんだけど私、中学生の頃に気になる男の子がいたんだ。ううん浮気とかじゃないのよ、人吉くん以外に好きな男の子なんて一人もいないわ。ただ単にその子とは人吉くんと出会う前に知り合ったというだけで。それに何もなかったんだから。今から思えばくだらない男だったわ。喋った事もないし、喋らなくてよかったと本当に思うわ。だけどもやっぱりこういう事はさいしょにちゃんと言っておかないと誤解を招くかもしれないじゃない。そういうのってとっても悲しいと思うわ。愛し合う二人が勘違いで喧嘩になっちゃうなんてのはテレビドラマの世界だけで十分よ。もっとも私と人吉くんなら絶対にその後仲直りできるに決まってるけれど、それでね人吉くんはどう?今までに好きになった女の子とかいる?いるわけないけども、でも気になった女の子くらいはいるよね。いてもいいんだよ全然責めるつもりなんかないもん。確かにちょっとはやだけど我慢するよそれくらい。だってそれは私と出会う前の話だからね?私と出会っちゃった今となっては他の女子なんて人吉くんからすればその辺の石ころと何も変わらないに決まってるんだし。人吉くんを私なんかが独り占めしちゃうなんて他の女子に申し訳ない気もするけれどそれは仕方ないよね。恋愛ってそういうものだもん。人吉くんが私を選んでくれたんだからそれはもうそういう運命なのよ決まりごとなのよ。他の女の子のためにも私は幸せにならないといけないわ。うんでもあまり堅いこと言わずに人吉くんも少しくらいは他の女の子の相手をしてあげてもいいのよ。だって可哀想だもんね私ばっかり幸せになったら。

2010年7月25日日曜日

何故数列?

数列に嫌悪を示す友人がいる。
こんなもの必要ないだとか、意味が分からないなどといってまともに考えようとしていないのだ。

数列は大事な理論であり、いろいろな場面で使うことができる。
だが意味不明だの、必要性を感じないだのといって毛嫌いする人がおおいのも事実だ。

そもそも何故数列を考えるかということが大事で、単にソコにあるから勉強するというのでは面白くない。
数列は、社会生活の中でもいろいろな場面に出てくるが、特に数学を成立させる基礎部門である。

20世紀初頭にそれまで発展してきた微積分学自体を集合論基礎として見直そうという機運が高まった。
その敵、数や関数の連続、面積、体積、などを正確に定義する必要があった。
人間の直感的理解で把握できていたものは明解ではなく、数学的取扱が困難であった。
それらのうちの【連続】という部分に数列は深くかかわってくる。

世の中で連続しているものはほとんどなく、実際に明確に観察したものもいない。しかし、連続を定義しようとしたため苦労する。
例えば数の連続とはある広がりの中の状況を言わなくてはならないのだが、実際はある1つの点での連続という訳のわからないものを定義する。
簡単に言うと、ある点で連続というのは、その点の近傍にいくら小さな近傍をとってもその近傍に属する点を取れるということなのである。
その近傍を次々に小さくしていくとある点に限りなく近づく点列ができる。
また、点間の距離を加えていけばある点までの長さが得られる。

しかし『次々と点がとれるか』や『ある一点に近づく保証がどこにもない』、『本当に距離の和がある点までの長さになるのか』という問題が発生する。
そのことに関連する問題が数学の分野の問題に出題されることになる。

連続の定義の種類は複数存在し、調べてみると面白い。

はじめから毛嫌いするのではなく、その背景や周りの事柄を調べてみると意外な発見が多く、とっつきやすい場合もある。
この時代の利点である『検索力』を大いに使い、チャレンジしていくときっと充実するのではないだろうか。

2010年7月24日土曜日

適当に

大学に入学すると自分が想像しているよりも遥かに、中高一貫教育や中学受験を経験している人間が多い。そういった経験をしていない自分が話しに入れないということもある。

最近の報道によれば関東の小学生の1/6が中学受験の人数に及ぶようだ。 この数値を少し考えてみよう。

全国でセンターを受験する学生は1/3であり、平均以上の点数を取る学生はその1/2であるから、ちょうど1/6となる。これを踏まえれば関東在住の家庭は気が気でないだろう。

一部の子供しか高校に入学しなかった時代から、何とか子供を高校へ入学させたいと思う時代を経て、現在はほぼ10割の子供が高校に入学する時代となった。
それと同じように一部の子供しか大学に入学しない時代から、何とか大学へという機運が高まり、大学進学を選択する人が増えてきた。
さらに人よりも一歩二歩いくらでも抜きん出たいという欲求から、学歴に対するこだわりもより強固になってきた。

さて、大学進学という進路を選択した場合に、多くの家庭が『塾』へ通う必要があると考えている。
大学受験を考えている学生全員が塾へ通ったとしたら、その中の誰かは受かり、誰かは落ちるのではないか。
塾に通って安心したいという気持ちは分かる。しかし安心してはいけない事も分かる。
塾に通う人は「通うといい」事よりも「通わないとまずい」という気持ちが強いのだ。
そうなると、教わったり既存のシステムに当てはめたりすることは万能では無いことが分かる。

しかし、「教わること」にこだわりすぎる人は非常に多い。

受験というものから離れている人から見れば万能のノウハウがあると感じてしまうかもしれない。
だが、一回経験すると実績を残すには自分で考えて努力しなければならないと分かるし、倍率1をこえれば努力しても落ちる人がいるのは必然である。

しかし人生が続いていくことを前提とするとき、自らの努力に対する評価を持ち合わせていないと次のステップに進めない。
また、誰かに『教わること』ばかりを検索していると、スタートラインには連れて行ってもらえるが、そこから走り出すのは非常に困難である。

検索が便利になった世の中で確かな意思を持つことが大切だという意識を持って進んでいきたいものだ。

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