2010年7月24日土曜日

適当に

大学に入学すると自分が想像しているよりも遥かに、中高一貫教育や中学受験を経験している人間が多い。そういった経験をしていない自分が話しに入れないということもある。

最近の報道によれば関東の小学生の1/6が中学受験の人数に及ぶようだ。 この数値を少し考えてみよう。

全国でセンターを受験する学生は1/3であり、平均以上の点数を取る学生はその1/2であるから、ちょうど1/6となる。これを踏まえれば関東在住の家庭は気が気でないだろう。

一部の子供しか高校に入学しなかった時代から、何とか子供を高校へ入学させたいと思う時代を経て、現在はほぼ10割の子供が高校に入学する時代となった。
それと同じように一部の子供しか大学に入学しない時代から、何とか大学へという機運が高まり、大学進学を選択する人が増えてきた。
さらに人よりも一歩二歩いくらでも抜きん出たいという欲求から、学歴に対するこだわりもより強固になってきた。

さて、大学進学という進路を選択した場合に、多くの家庭が『塾』へ通う必要があると考えている。
大学受験を考えている学生全員が塾へ通ったとしたら、その中の誰かは受かり、誰かは落ちるのではないか。
塾に通って安心したいという気持ちは分かる。しかし安心してはいけない事も分かる。
塾に通う人は「通うといい」事よりも「通わないとまずい」という気持ちが強いのだ。
そうなると、教わったり既存のシステムに当てはめたりすることは万能では無いことが分かる。

しかし、「教わること」にこだわりすぎる人は非常に多い。

受験というものから離れている人から見れば万能のノウハウがあると感じてしまうかもしれない。
だが、一回経験すると実績を残すには自分で考えて努力しなければならないと分かるし、倍率1をこえれば努力しても落ちる人がいるのは必然である。

しかし人生が続いていくことを前提とするとき、自らの努力に対する評価を持ち合わせていないと次のステップに進めない。
また、誰かに『教わること』ばかりを検索していると、スタートラインには連れて行ってもらえるが、そこから走り出すのは非常に困難である。

検索が便利になった世の中で確かな意思を持つことが大切だという意識を持って進んでいきたいものだ。

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